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今やっている論理的思考って必要?

 

小学校や中学校でプログラミング教育が導入されて数年が経ちましたね。

元プログラマーの自分としては少し期待していた部分があったのですが、結果は表現の方法が変わっただけで、中身は変わっていないなぁっという感じでした。

それでもこれまでの教育の形からすれば、ここまで変革された関係者の方々の努力は計り知れない苦労があったと思いますが、その苦労とは裏腹に現場の教職員にまでは届かず、自己満足な結果になってしまっている様に感じるのは残念でなりません。

その原因のひとつには、文科省からの通達内容と現場サイドの教職員とのスキルレベルに差があり過ぎて何も伝わっていないということ。

本来ならば新しい取り組みである以上、これまでの教育方法とは全く違った方法で取り組めるチャンスだったのですが、現場サイドに知識や経験を持つ人材が少ないことで、無限大に広がるはずのプログラミング教育が、既にある教育範囲よりもさらに狭い教育範囲内で行うことしかもたらせなかったということ。

もっと詳しく言うと、良いも悪いも関係なく「方法や手段を考えやってみる!(実行)」そして「その結果どうだったか!(振返り)」といった内容を元に、さらに細分化することで得られる「納得(着地点)」や「想像もしなかった別の着地点」を発見する能力を育むためのトレーニングのはずが、現場サイドではその必要性が見えなかったために、またもデジタルスキルを向上させるためにその必要性と理解を深め問題の正解を求めるような教育がもたらされてしまったと考察しています。

どちらかというと教職員のデジタルスキルが低いことが露呈してしまっただけで、教職員にとってはマイナスな結果を呼び込んでしまっている様に感じるために、デジタルが得意な教職員を除いた多くの現場では「また余計なことを!」としか感じてはいないのではないでしょうか?

それこそこの取り組み自体が、もっと論理的思考を活用し「想像もしなかった着地点」に着地することが出来ていればもっと良い印象を与え、より良い方向へ導けたのかもしれません。

その時々に誰に寄り添い、誰を見守ることが次へつながるのかを認識していれば変わったのかもしれません。
今回のケースで見えてきたのは、文科省からの現場サイドの教職員へのサービスの「質」を高める必要がある。ということじゃないかと思っています。

わたくし達「cuwon =久遠=」は、その様な慣習が当たり前になる世の中になることを心より願って活動を続けたいと思います。

 
最終更新日:2023/02/02(木)16:06
 

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